生活と花

昨年のクリスマス、友人からお花をいただき、荒んでいた心が少し浄化された。それから自分でも何度か切り花を買って帰るようになった。

一昨年の夏にベランダが広いので朝顔市で朝顔を買ってきた。「今年の夏は朝顔のある夏だ」なんて浮かれていたけれど、育てているうちにそういえばと高校の古典の授業で勉強した方丈記を思い出す。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず のやつ。

耳触りの良い文章とか、無常観とか、働いている会社のこととか、世の中のこととか、わたしの存在とかをゆらゆらと考え出し、毎朝新しい花を咲かせるために枯れた花を千切るのが悲しくてやめてしまった。花を育てるのは向いてないのかもしれない。


今日はひな祭りだから桃を買って帰った。でかいし挿し方の正解がわからない。
(そういえば去年、たまたま実家に帰ったときにお母さんがわさわざお雛様を出してくれて嬉しかったな。)

わたしのワンルームの中で花が開いているのが、わたし以外が息をしているようでとても愛しい。
そうやって花はわたしのご機嫌をとってくれるけれど、わたしを置いて枯れてしまうよね。当たり前だけどね。その度に少し悲しくなる ごめんね